飢えない価値観

不透明な社会の中で「飢えない生き方」を模索する雑記ブログ

飢えるとはなにか②~飢えが人の原動力になる~

前回は「飢え」の私なりの定義についてお話しさせていただきました。

飢えとは

欠乏に対する不安・恐怖が一時的でなく存在すること、その状態にとらわれること

簡潔に言うとこのように定義できるのではないでしょうか

今回はこの「飢え」が人間の生存に欠かせないという点について突き詰めてみます。

 

 

欠乏が原動力になる

 

人類の発展の歴史をみてみると飢えとの闘争であったことがわかります。

原始のころは狩猟や採集で食料を賄っていました。

しかし、ある時飢えから離れるための画期的な方法が編み出されます。

農耕です。

稲作や牧畜も、飢えないで安定した食料供給を求めたところに発端があります。

これ等の発達により人々は定期的に安定した食料を調達できるようになりました。

収穫が安定し、食料に余裕が生まれると、それを保存し守るためのくらを建てることになります。

また、そのくらを守るため軍が必要になります。

こうして集落は規模を大きくしていき国が出来上がります。

食料の分配、蔵の管理、豊作を祈るためのまつりごと、これ等すべては飢えの克服を目指すことで発達したものです。

 

飢えと戦争

 

飢えが生み出す究極的なもの、それは戦争であると思います。

戦争で相手の国の富を奪うことが最も手っ取り早く飢えをしのぐ方法だからです。

戦争のための遠征が、国と国の交易を生み新たな文化を発展させました。

戦争のために開発された技術が私たちの生活に大きな役割を果たしています。

航空技術・インターネット、これらも戦争の中で開発され実用化されました。

戦争がどれだけの技術革新を生みだし、科学を発展させたかは語るまでもないと思います。

 

皮肉なことに飢えは人間の歩みの原動力になりましたが

同様に戦争を生み出しました。

飢えが人間の原動力であり多くのものを生み出してきたことは頭に入れていかなければならないでしょう。

 

私たちの社会は、現在この飢えをシステム化しています。

飢えを社会システムに組み込むことで継続的に発展・成長できるからです。

次回は典型的な飢えのシステムを一つ紹介したいと考えています。

今回は以上で失礼させていただきます。

ありがとうございました。

 

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