飢えとヒエラルキー③~宗教とヒエラルキー~
なぜヒエラルキーはまずいのか
当ブログでは度々ヒエラルキーについて取り上げてきました。
なぜヒエラルキーについて取り上げるのか。
ヒエラルキーは「同じ足りないもの」を多数の人間が目指したときに生まれると書きました。
その足りないものにアクセスしやすい順に階級のようなものができていきます。
そしてなにより重要なのは、このヒエラルキー構造は
大多数によって支えられなければ存在できない少数が、大多数の上に存在し、
そのために大多数の飢えは満たされることはない
という点です。
ヒエラルキー構造においては大多数は常に飢えの状態を強いられるという状態におちいってしまうのです。
もし満たされたらヒエラルキー構造自体が崩壊してしまいます。
そのため上位の少数者は大多数を常にコントロールしようとします。
彼らは大多数から搾取することで安泰だからです。
コントロールするために「奇跡」をでっちあげたり、自分たちが目指すべき存在であるかのように振舞います。
しかし、目指すのはいいが到達されては困るので肝心な部分は隠したり嘘をついたりします。
飢えがヒエラルキー構造を生み、ヒエラルキー構造が飢えの状態を持続させる
という点が問題なのです。
もちろん、飢えは成長を生みますから、うまくいけば発展が望めます。
しかし、いくら発展しても飢えが満たされない限り、人は、喜びのある生き方ができないのではないでしょうか。
飢えない価値観を見出すためにはこのヒエラルキー構造は避けて通れない要素になります。
ヒエラルキーは宗教でまとまる
ヒエラルキー構造を維持するために、宗教は重要な役割を果たします。
宗教的とは、不確かなものを信じることです。
確かなものを信じるならそれは科学や学問になります。
ヒエラルキーという実際には存在しない形而上学的なものに、価値があるようにみせかけるには、宗教的な要素が不可欠なのです。
これは物の価値についても同様なことが言えます。
その物に価値があるかというのは、実際は需要と供給の関係を考慮に入れたとしても、個人個人が決めることです。
そしてその物の価値は、状況や場所、価値観など人によってバラバラに異なります。
実際の価値とは不確かなものだからです。
しかし、その物の価値を集団全体で共有する場合、そこには宗教的な要素が絡んできます。
集団全体で同じものの価値を共有する、価値を信じるということは宗教的行為であると私は思います。
また同様に、一つのものの価値を集団で信仰する宗教は、ヒエラルキー構造をとるようになります。
原罪という飢え
このような宗教的ヒエラルキーを強固なものにする強力な思想があります。
それは何かというと、「原罪」です。
あなたは生まれながらに罪を背負っていると、信者に植え付けるのです。
ヒエラルキーは飢えから成り立つとはすでにお話しさせていただきました。
ある種の宗教は、自分には欠損的な部分がある、足りない部分があるという罪の意識を教え込みます。
人は生まれながらにして十字架を背負っているというわけです。
このように確信犯的に飢えの状態を創り出すのです。
更に、「罪の意識が消えるためには、その宗教の信仰対象である神を敬わなければならない」とも言います。
また、多くの宗教では禁欲的な慣習、生活態度を求めます。
禁欲を断行した人間はどうなるか。もちろん欲求不満という「飢え」の状態になります。
こうしてヒエラルキーは強固なものとなります。
信者はみな聖職者のおっしゃる通りにすれば、少しでも神に近づけると熱心になります。
しかし、もし飢えが満たされたらヒエラルキーは崩壊しますから、すべてが救われてはヒエラルキー上位者は困るのです。
そのため彼らは、「救いは信じるすべての人のもとにある」とか「あなたが救われないのは信仰が足りないからだ」とごまかしたり嘘をつかなければならなくなるのです。
こういった要素を持たない宗教も存在するでしょう。
しかし、その宗教の規模が大きくなったりすると、大抵は同じような構造になっていくように思います。
とあるカルト教団の例
ある教団を例に出したいと思います。
例に出すぐらいですから、わりと一般的な宗教の要素を含んでいます。
特定の名称は伏せますが、この教団は、教祖が頂点のヒエラルキー構造をしています。
この教祖が「完璧なもの」であり「最も価値のあるもの」であるとするのです。
つまり、それ以外の人間は、教祖と比べたら不完全で欠陥的ということになります。
「原罪」と似ていますね。
もちろん本当にその教祖が完璧かどうかはわかりません。
ただ、完璧であることを知らしめるためにこれまでいくつか奇跡を起こしたそうです。
降霊術とか霊視とかを使えるそうです。
またこの教祖は霊格(どういった格なのかは不明です)が非常に高く、キリストや仏陀と同じ格であるともいわれています。
そして歴史上の人物や、有名人などの霊格を格付けし、信者に上の格を目指すことを求めます。
このような霊格で階級をつくり、ヒエラルキー構造を構成しました。
私は信者ではありませんから、どのようなことをすれば霊格が上がるのかはわかりません。
祈ったりすればいいのでしょうか。おそらくはそれでは足りないといわれるでしょう。
信者は禁欲的で、中には多額の寄付をする人もいるようです。
名称を特定された方もおられるかもしれませんが、多くの宗教が近いような要素は持っています。
奇跡・原罪・格、表現は違えども似たような言葉は使っていると思います。
こういった教団もヒエラルキー構造をとっている限り、大多数は救われないことと思います。
救われるとしたらそれこそまさに奇跡です。
教祖は奇跡が起こせるそうなのでそこに期待するしかないのかもしれません。
最後に
「飢え」でまとまった組織は飢えが解消されたら目的達成でなくなるはずです。
そこのところを、少数優位にすることで維持しているのがヒエラルキー構造をもった組織になります。
国や会社などの組織もこういった宗教組織と似たような構成をしていたりします。
国の場合、宗教そのものを組織強化のために利用したりします。
このような構造の組織に、大抵の人は、一つや二つ属しているものです。
しかし、この構造を理解していれば、たとえ組織から抜け出ることが難しくても、
組織の価値観に惑わされずには済むかもしれません。
飢えない価値観を持つにはヒエラルキー構造をもった組織の価値観から脱却することが必要です。
そのため、今回は長々としたお話させていただきました。
ありがとうございました。