蟲毒システム②
前回は蟲毒という呪いが今の社会に組み込まれているという話をしました。
蟲毒は「飢え」の状態での生存競争を意図的に作り出したものです。
この生存競争の勝者はより毒性がつよいものが生き残ります。
今回は競争を蟲毒システムにしないためのルールづくり、規制について書きたいと思います。
競争とスポーツマンシップ
競争の全てが間違っているとは思いません。
競争によって発展する、成長することは間違いないとは思います。
しかし規制のない競争は毒性が強いものが残ります。
私はサッカーを観ることが好きなのですが、スポーツにはルールが存在します。
ルール・規制を設けることで蟲毒化を避けてきたものがスポーツであり
その精神性をスポーツマンシップというのであると思います。
例えばサッカーだと
- 両チーム11人づつと人数を制限することで多数が少数を虐げないようにする。
- 勝者が敗者を攻撃したり、自チームに都合の良い条件を提示したりはしない。
- 第三者、つまり審判を置くことで公正な判断を下すことができる。
- 危険なプレーは反則となる。度を超すと退場になる。
- 前半と後半でプレーするピッチを交換し、場所による有利不利を無くす。
- どんな得点でも1点であり、チームや個人で得点が増えたり減ったりはしない。
- 故意に時間を遅らせたり、相手から反則行為を受けたふりをすることは違反とする。
ざっと思いつくだけでもこういった制限が挙げられます。
上記の規制以外にもまだまだたくさんありますが、スポーツには様々な規制があることがわかります。
基本的に勝者が敗者を虐げないことが大前提になります。
これはその他のスポーツでも同様です。
ただ、プロスポーツの世界では金銭が絡むため、資金力が豊富なチームが乏しいチームから引き抜くなど飢えた価値観が入り込んだりもしますが・・・。
他にも審判の偏った判定問題など公平性の問題は尽きることがないのが実態です。
もし、スポーツにルールがなかったらどれほど悲惨なことになるか国際試合を観るたびに痛感します。
ルールがある状態でさえ
・わざと遅延行為をするもの
・相手を挑発するもの
・審判の見ていない場所で悪質なタックルをするもの
あげたらキリがありません。
ほんの少し規制緩和・自由化で
間違いなく蟲毒状態と化すでしょう。
実際の経済はスポーツではないとおっしゃる方も多いと思います。
しかし、スポーツの世界ですらこうなるのです。
生活や命のかかる経済であればなおさら規制が必要であることは明白です。
もし、競争を促進したいなら同様に規制も強めるべきなんです。
間違っても規制緩和という言葉に惑わされてはいけません。
何を規制し、何を緩和するかが重要なのです。
今の経済でも、規制緩和や自由化で毒性の強い国外の資本がどんどん流入してきています。これは本当に正しいことでしょうか。
外来種と固有種
食糧難を理由に繁殖力があると連れてこられた外来種(ウシガエル、アメリカザリガニなど)は日本の生態系を変えてしまいました。
ここでも蟲毒システムが発動したと思います。
人間が飢えの状態を作り出し生存競争をさせてしまった。
するとやはり、生命力の強い外来種が、固有種を駆逐していきました。
競争がいいものだと考えている競争信者は、生き残ったものが優秀であるというかもしれません。
しかし生命力があるものが種として優秀なのか疑問に思います。
生命力の強い雑草と、手を加えなければすぐに枯れる花のどちらが優秀かなんて比較はできないと思います。
大切なのはすみ分けと規制です。
花の横に雑草が生い茂っていたら、雑草に栄養を持っていかれてしまいます。
規制のない競争というのはこういうことです。
生命力が強いとは「より飢えている」「今まで飢えた環境にいた」
と言い換えることもできると思います。
厳しい環境下では頼もしい存在かもしれません。
しかし、生命力がつよいものだけが生き残った環境が豊かであるとは
私にはどうしても思えないのです。
本当の豊かさは繊細さを受け入れる許容がある環境のことをいうと私は思います。